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セレンディピティ

セレンディピティ

伊藤静雄

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夏の終り 伊藤静雄

夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
気のとほくなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大気の空をながれてゆく
太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほきく落とす静かな翳(かげ)は
……さよなら……さようなら……
……さよなら……さようなら……
いちいちさう頷く眼差のように
一筋光る街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田(みずた)の面(おもて)を移り
ちひさく動く行人をおひ越して
しづかにしづかに村落の屋根屋根や
樹上にかげり
……さよなら……さようなら……
……さよなら……さようなら……
ずつとこの会釈をつづけながら
やがて優しくわが視野から遠ざかる


燈台の光を見つつ


くらい海の上に 燈台の緑のひかりの
何といふやさしさ
明滅しつつ 廻転しつつ
おれの夜を
ひと夜 彷徨さまよふ

さうしておまへは
おれの夜に
いろんな いろんな 意味をあたへる
嘆きや ねがひや の
いひ知れぬ――

あゝ 嘆きや ねがひや 何といふやさしさ
なにもないのに
おれの夜を
ひと夜
燈台の緑のひかりが 彷徨さまよふ



 (野分に寄す)

野分のわきの夜半よはこそ愉たのしけれ。そは懐なつかしく寂さびしきゆふぐれの
つかれごころに早く寝入りしひとの眠ねむりを、
空むなしく明くるみづ色の朝あしたにつづかせぬため
木々の歓声くわんせいとすべての窓の性急なる叩のつくもてよび覚ます。

真しんに独りなるひとは自然の大いなる聯関れんくわんのうちに
恒つねに覚めゐむ事を希ねがふ。窓を透すかし眸ひとみは大海おほうみの彼方かなたを待望まねど、
わが屋やを揺するこの疾風はやてぞ雲ふき散りし星空の下もと、
まつ暗き海の面おもてに怒れる浪を上げて来し。

柳は狂ひし女をんなのごとく逆さかしまにわが毛髪まうはつを振りみだし、
摘まざるままに腐りたる葡萄の実はわが眠ねむり目覚むるまへに
ことごとく地に叩きつけられけむ。
篠懸すゞかけの葉は翼つばさ撃うたれし鳥に似て次々に黒く縺れて浚はれゆく。

いま如何いかならんかの暗き庭隅にはすみの菊や薔薇さうびや。されどわれ
汝なんぢらを憐まんとはせじ。
物もの皆みなの凋落の季節ときをえらびて咲き出でし
あはれ汝なんぢらが矜ほこり高かる心には暴風あらしもなどか今さらに悲しからむ。

こころ賑はしきかな。ふとうち見たる室内しつないの
燈ともしびにひかる鏡の面おもてにいきいきとわが双さうの眼まなこ燃ゆ。
野分のわきよさらば駆けゆけ。目とむれば草くさ紅葉もみぢすとひとは言へど、
野はいま一色ひといろに物悲しくも蒼褪あをざめし彼方かなたぞ。



      星       ー千家元麿ー

  夜ハガキを出しに
  子供を抱いて往来に出た
  郵便局の屋根の向ふの
  暗闇の底から
  星が一つ青々と炎へて自分の胸に光りをともした
  自分は優しい力を感じた、氣丈夫に感じた
  宇宙を通して火はめぐつて居るのを感じた
  至る處に優しい力がまき散らされてゐるのを感じた
  自分の内と星は同じ火でつくられ、同じ法則に従つてゐると思つた
  暗闇の底にある遠い星も自分で動かす事が出來る
  優しい力で動かす事が出來る


     創作家の喜び

  見えて來る時の喜び、
  それを知ら無い奴は創作家では無い
  平常は生きてゐても、本當ではない
  自分の内のものが生きる喜びだ。
  自分の内の自然、或は人類が生きる喜びだ。
  創作家は、その喜びの使ひだ。






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